文章・千鳥 齋
大学の巡検で、奈良県天理市に『おぢばがえり』を見に行った。午後四時半時に解散になったが、宿に戻ってもすることがなかった私は、地図を見ていてたまたま見つけた石上神宮へ参拝することにした。石上神宮は村はずれの小山にあり楠の林に覆われていた。参道は日暮れにはまだ早いにもかかわらず薄暗く、「カナカナカナ・・・」というヒグラシの鳴き声が盛大に響いている。参拝客は私一人だけらしく、とても心細い。心のなかで『とおりゃんせ』を思い出しながら境内へと進んでいく。鳥居をくぐり、境内に入ると注連縄のかかった鶏小屋があり、その横には大きな牛の置物がある。脇の鏡池にはコイのような魚が泳いでおり、看板には「ワタカという天然記念物がいます」と書かれている。
「鶏に牛に天然記念物。石上神宮とどんな関係ににあるのかは知らないが、きっと縁が深いものなんだろう。」と思い、頭のなかでもっともらしい縁をこじつけながら境内をさまよう。すると、境内を掃除している神主らしき方を発見し、すぐに話しかけて確認してみることにする。
「すいません。ちょっとお尋ねしていいですか?」
「はぁ。なんですか?」
「境内の鶏は何か縁があるんですか?」
「実は―何の縁もありません。」
「えっと、じゃああそこの牛は?」
「なにもありません。」
「それじゃあ、ひょっとしてあの池のワタカも?」
「ええ。ないこともないですけどありません。」
肩透かしをくらった私は呆れかえってしまい、段々と笑いがこらえられなくなってしまった。「はめられた・・・。そんな身も蓋も無い返事を神妙な顔でされたら、笑わん訳にはいかんやないか!悪人が悪人に嵌められる訳にはいかん!絶対笑うもんか!せめてイーブンに持ち込むんや!」妙なプライドのおかげで爆笑を半笑いに抑えられた私は、震えながら神主さんに詳しい話を聞いた。
「鶏は社務所で世話をしており石上神宮のマスコットの地位に納まっているが、元を質せば近所の人が境内に鶏を捨てていったことが始まりで、その後知らない間に増えて今に至る。」
「牛は誰かが奉納したもので、何の縁もない。」
「ワタカは明治以前は石上神宮の神宮寺だった内山永久寺の池に居たもので、廃仏毀釈の影響で永久寺が廃寺になった際に境内に移した。」
と教わった。
私の質問に答えてくれた神主さんは年若い上、非常に気さくな方だったこともあり、神主さんに境内の案内を頼んだ。掃除の手伝いをしながら境内を案内していただいた。
神門を通って拝殿前に立ち、参拝をさせていただいた。拝殿は鎌倉時代の建立後、幾度も修繕を受け、建立当初の部材が残るのはごく一部になっていると伺った。拝殿の後ろは古くから禁足地となっており、そこが石上神宮の本殿とされていた。明治時代に禁足地の発掘調査が行われ、御神体である剣と曲玉が発見された。その後、剣と曲玉を納めるための本殿が禁足地に造られた。そして今なお拝殿の後ろの本殿とその周囲は禁足地とされている。
その後、楼門内の展示について説明を聞かせていただいた。展示物は色々あったように思うが、その中で最も気を惹かれたのは2.5メートル四方もある内山永久寺の俯瞰図だった。数え切れない程の建物が描かれ、境内に3つの川を納めた図の端のほうに『布留社』と小さく書かれた場所が石上神宮だという。俯瞰図と手持ちの地図を照らし合わせると、幅三百、奥行き百メートルの敷地を誇った『西の日光』内山永久寺の壮麗な姿が容易に想像できた。これだけの規模の寺院が廃仏毀釈で消えてしまったとは到底信じられなかった。
俯瞰図を穴が空くほど見ていた私に、「永久寺にあったものは、大きいものは薪になって燃やされ、小さいものはボストン美術館にあります。けど、永久寺の拝殿やったらうちとこに置いたりますから、よかった帰りがけに見てってください。」と声をかけてくださった。空を見るともう薄暗く、時計は午後七時を指していた。天理教本部を出たのが五時前だから、二時間居たことになる。勧めに従って、拝殿を見て帰ることにした。
神門を出たところで立ち止まった神主さんは、「あれが永久寺の拝殿ですわ。よかったら見てってください。」と言って、上のほうを指した。指の先には低い檜皮葺の屋根が見えた。お礼を述べると、指はさらに上を向き、「鶏がフンするかもしれんので、気をつけてください。」と拝殿近くの杉に留まって寝ている鶏を指した。
フンは恐いので、杉の下に入らないように近づく。遠目に見ても感じたが、神社よりは仏閣にあった方が似合う建物で、はっきり言って浮いている。屋根が檜皮葺にしては薄く、鰹木がない。割拝殿といって、拝殿の中央が通路になっている。看板には出雲建雄神社拝殿とある。浮いてはいるが、国宝のようだ。
帰って調べてみたところ、もとは永久寺の住吉社の拝殿で一九一四年までは内山永久寺跡にぽつんとあったものを摂社出雲武雄神社の拝殿として移築したとわかった。鞍馬の由岐神社も割拝殿だがあちらは壁や戸がなく、一見すると『舞殿』のように思える。対して、この割拝殿は壁がありしっかりと格子戸がはまっているため、『お堂』や『仁王堂』に思えてしまう。両脇の格子戸の置くに仁王様が納まっていないことが不思議に思える。
そんな不遜なことを考えながら、境内を後にした。帰りに一キロ半ほど遠回りをして、内山永久寺跡に行ってみた。そこには何もなく、石碑と『本堂池』という名前がなければ信じることができなかっただろう。
「神社や仏閣は日々変化している。時代の変化に沿うように人や物が変化していくのは当然であり、それは一種の「進歩」と言えると思う。それは悪いことだとは思わない。ただ、廃れたものや変わろうとしないものを決して『遺物』にしてはならない。時代に合わないことと、価値がないことは同じではない。しかし、全てのものを『遺物』にしないように守ることは不可能だ。だから、自分が出会ったものの姿をできるかぎり正確に記憶し、心に刻みつけておこう。そして、自分が出会ったものの姿を人に伝えていこう。偽善かもしれないが、やらんよりはましだろう。」
焼きイカをかじりながら『おぢばがえり』のパレードを眺めていた私はそう決意した。
あの夏の日、石上神宮で私が感じたことは、その後の生活や行動においての戒めになっている気がする。神社研にいる理由も、マイナー神社や地方を旅行しているのも「決意」の現れだと思う。もしくは、その「決意」が変わる機会を求めることが本当の理由なのかもしれない。